河村勇輝の父親は河村吉一!柳井中学の英語教師でバスケの指導者!

河村勇輝の父親は河村吉一!柳井中学の英語教師でバスケの指導者!

2020年、高校生で初のBリーグデビューを果たし、より一層注目が集まっている河村勇輝選手。

今シーズンはMVPや新人賞、アシスト王などを含む6冠に輝き、日本の若き司令塔と言われています。

そんな大活躍中の河村勇輝選手ですが、家族のサポートがバスケをやる上でのモチベーションになっていたようです。

河村勇輝選手を育てた父親はどんな人で、どんな教育を行ってきたのか?

家族について詳しく調査していきます。

目次

河村勇輝は5人家族!

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河村勇輝PROFILE
  • 名前:河村勇輝(かわむら ゆうき)
  • 生年月日:2001年5月2日
  • 年齢:22歳(2023年6月現在)
  • 出身地:山口県柳井市
  • ポジション:ポイントガード
  • 身長:172㎝
  • 体重:68kg
  • 出身中学:柳井中学校
  • 出身高校:福岡第一高等学校


福岡第一高等学校時代には冬の全国大会2連覇高校3大大会3冠主役でした。

大学は東海大学に進学しましたが、”プロとしてすべての時間をバスケットボールに費やしたい”という気持ちが強くなり、2年で中退しています。

そんな河村勇輝選手は5人家族で、姉が2人いるそうです。

家族構成はこちらです。

  • 父親:河村吉一(かわむら よしかず)
  • 母親
  • 長女
  • 次女
  • 長男:河村勇輝(かわむら ゆうき)


河村選手は末っ子長男で、姉2人にとても可愛がられて育ったようです。

そして同居していない祖母がおり、教員として働く忙しい両親に代わって子育てをサポートしてくれていました。

河村勇輝の父親はバスケットボール指導者の河村吉一

河村選手がバスケットボール選手として才能を開花させるきっかけとなったのは、父・河村吉一さんの存在が大きかったようです。

インタビューでもバスケを始めたきっかけは「父がバスケットボールをしていたから」と話していました。

父は同中の教員で、バスケ部の顧問。

asics

父・吉一さんは柳井中学校で英語教諭を担当し、バスケットボールの指導員をされているとのことです。


河村選手は父・吉一さんの英語教師の仕事の影響で3歳までドイツで過ごしていました。

ドイツの記憶はないとのことですが、誰とでもオープンに話せるのはドイツでの経験が大きいと吉一さんは考えているようです。

そんな河村選手はインタビューなどでたびたび父・吉一さんのエピソードを話しています。

父親とキャッチボール

はじめは野球少年だったという河村選手。

毎日、父・吉一さんとはキャッチボール、お風呂では水中に入れた手首を50回スナップしたらお風呂から出られるというゲームをしたり、野球に役立つことを毎日行っていたようです。

野球に力を入れていた河村選手の考えが変わったのは小学2年生の時。

本格的に野球チームに入るため、河村選手がスポーツショップに行ったときのことです。

そこにあった野球のグッズには、自分のなかでピンとくるものがなくて……。『他に良いものはないかなぁ』と見ていたら『バスケのユニフォームの方がカッコイイ』と思ってしまって(笑)。それまで2~3年は野球を熱心にやっていたんですけど、その1カ月間くらいで、急にバスケに変更しちゃいました。

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野球グッズにピンと来なかったという河村選手。

バスケットボール選手になるという運命が決まっていたようなエピソードですね!

父親とキャッチボール、水中の手首スナップは強制ではなく遊びで、コミュニケーションの一環としてやっていたそうですが、その時の経験は今にも活かされているようです。

あのときの経験ってけっこう生きている部分はあると思うんです。手首もそうですし、キャッチボールですごく肩の力はついたんじゃないかなぁと

Nunber Web


始めは野球少年だったという河村選手。

父とともにやっていたキャッチボールやお風呂での習慣は、その後に出会ったバスケットボール生活に活かされているようです。

父親の部屋にはNBAや国内バスケのビデオが多数あった

バスケットボールの指導者をしている父・吉一さんの部屋には数々バスケットボールに関するビデオが置いてあったそうです。

NBAのスター選手の映像から日本人初のNBAプレーヤーとなった田臥勇太選手の映像まであり、その時に見た田臥選手のプレーが今の河村選手のプレーに活きているとのことです。

河村選手は、「僕のドリブルは田臥さんの影響がすごく強い」とも話していて、映像で毎日見ていた田臥選手のドリブルを研究し、練習していたとのことです。

バスケの映像が簡単に見られる環境にあったことは、今の自分のプレースタイルを築くきっかけになったようです。

趣味はネットオークションでNBA選手のサイン集め

父・吉一さんの趣味はNBA選手のサイン集めだそうです。

ネットオークションなどを見ながら本物のサインを集めてきた。今でもサインを集めることが趣味だと公言しているという

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そんな父・吉一さんの口癖は「本物しか買わない」で、本物とはNBA選手のサインのことだそう。

本物のサインを手にすることは、将来こんな選手になりたいと具体的にイメージするきっかけになっていたかもしれませんね。

自宅にバスケットリングを取り付け1000本シュート

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自宅の庭にはバスケットリングを設置

山口県にある河村家の敷地は広く、河村選手が幼稚園のときから庭にはバスケットボールのリングが設置されていました。

隣には田んぼが広がっていて、ボールが大きくバウンドすると、田んぼに落ちてしまうことがありました。

父・吉一さんは自家製のネットを貼り、好きなだけバスケに打ち込めるように家庭用のナイター設備も作ってくれたそうです。

小学4年生になった河村選手は試合にも出るようになったが、県大会につながる大事な地区予選で負けてしまい、人生初の「挫折」を経験しました。

父親からは「自分のせいだと思うなら、やるべきことがあるんじゃないか」と指摘されたそう。

そこから自宅でシュートの自主練習が始まりました。

父・吉一さんが作ってくれた自宅のゴールで自主練習に打ち込み、最初は毎日300本決めるところから開始。

ナイター用の照明で夜も練習していました。


その練習内容というのがこちらです。

  • リング下シュート左右連続50本
  • フリースロー連続10本
  • ミドルシュート連続8本
  • 3Pシュート連続5本
  • ②③④をもう1セット繰り返し
  • イスから飛び降りてシュート連続7本
  • 仕上げに②③④を2本ずつ合計6本を連続
  • フリースロー連続10本
  • 終了


これを毎日実施していました。

シュート本数は自然と増えていき、小学6年生のときはなんと1日1000本のシューティングをしていました。

そして全国大会前は「日本一になるために日本一の練習をしよう」と父子で話し合い、2000本のシューティングを行っていたようです。

しかも驚きなのが東京へ出発する前の2日間で2000本インというところです。

ただシュートを2000本打つのではなく、2000本入るまでということなので、相当な練習量ですよね。

その結果、全国大会の決勝では、河村選手のバスケットカウントで1点差で勝利、全国大会で優勝しています!


体育館でもたくさん練習されたと思いますが、自宅でのシュート練習が勝利を掴んだのは間違いないですよね。

父・吉一さんの協力がなければここまでの努力はできなかったのではないかと思います。

雨の日にはお風呂を沸かしてくれた



雨が降る日には、雨が止んだ後シートをどかせばバスケができるようにと庭に巨大なブルーシートを敷いてくれたそう。

雨の中練習した時には風邪を引かないようにと声をかけ、決まってお風呂を沸かしてくれていたようです。

バスケの練習に明け暮れる河村選手を思っての行動に愛を感じますよね。

父親が1対1で練習相手になってくれた

父・吉一さんはシュート練習だけでなく、1対1の練習相手もしていました。

体育館だけではなくて、あの庭でバスケをしたことが、自分の今までのバスケ人生のなかで基礎になっているんじゃないかな

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父・吉一さんの愛は河村選手にはしっかりと伝わっていて、それがバスケをやる上での心の支えとなっていたようですね。

バスケを強要されたことはない

これだけの選手であれば、さぞかし両親もしっかりしていて厳しい教育と指導を受けてきたのかと思ってしまいますが、そういったことは一切なかったようです。

あれこれ口を出すことはなく、”口を開くのはヒントをあげるときと、ほめるときだけ”だったそう。

口うるさく言われたことは全然なくて、僕の自主性を本当に尊重してくれた。バスケットが嫌いにならないように、環境だけを整えてあげようと考える父だったので。それでいて、良いプレーができたときには試合会場からの帰り道に「今日は練習していたことが1回できたな、よかったぞ」と

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河村選手にとって、父・吉一さんに褒められることが1番のモチベーションであったようです。

学校生活や部活など、自分の子供には口出ししたくなりますが、見守る親の存在が子供側にとってちょうど良い心の状態を保っていたようです。

いつでも考えを尊重してくれた

柳井中学校に通っていた頃、地元の高校に進学しようと考えていた河村選手ですが、福岡第一高校の監督からスカウトの声がかかりました。

河村選手は体育の先生を目指していたようで、バスケ1本でやっていくつもりがなかったそうです。

地元の高校に行くのが現実的だと思っていたし、普通の人生を歩むことが親孝行だと思っていたので、福岡第一に行くのは自分勝手なんじゃないかと思った

asics

ここでも河村選手の両親は「勇輝の考えを尊重する」と言い、進路については河村選手が1人で考えて決めたようです。

最終的に福岡第一高校でバスケをやりたいと決めた時も

勇輝が出した結論が一番だし、なにより、勇輝の人生は勇輝自身のものだ。勇輝の出した決断をサポートするよ

asics

どんな道を選んでも味方でいてくれる両親のおかげで安心してバスケに打ち込むことができているようです。

まとめ

今回は河村勇輝選手の父・河村吉一さんについてまとめました。

今の河村選手の活躍があるのは、まぎれもなく父・吉一さんの協力が大きいということがわかりました。

練習に付き合ったり、常に河村選手を尊重してくれる父親の存在は河村選手の心の支えになっているようですね。

まだ22歳ということで、これからの河村選手の活躍がとても楽しみです!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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